医療英語:詩の訳し方

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医療英語:詩の訳し方

 

医療英語:詩の訳し方

 

英語の伝統的定形詩には強弱の詩歩とか、頭韻とか、尾韻とか、十四行ソネットとかいう詩型の制約があります。これらを日本語へ翻訳する際、自然に出来上がるときは別ですが、義務的に考えて無理やりこじつけで訳すべきではない、というのが英国の詩人ジェイムズ・カーカップ氏のすぐれた見解です。

 

ただでさえ困難な英詩の日本語訳に、さらに面倒な制約の枠をはめる必要はないというのです。それよりも、先ず原詩そのものの感動を深め、リズムを感じ取り、内容の理解を正確かつ精密にすることの方が先決です。

 

一般に日本語は英語に比べ、強弱のリズムや、抑揚に乏しいと言われています。日本語には音の高低はあっても、音の強弱アクセントがありません。ところが日本語では古来、五音または七音の規則的な繰り返しが心地よい語感を呼び起こすものとされ、短歌の五―七―五―七―七や、俳句の五―七―五によく表れています。

 

この五と七の音数によるリズムが心地よい詩的感情をさそうわけです。五―七―五は日本語あるいは日本人の心に内在する基本的なリズムです。
一方、日本語の詩では韻は発達しませんでした。確かに、「ナセばなる。ナサねばならぬ。ナにごとも、ナらぬは人の、ナさぬなりけり」のような頭韻や、「伊勢は津でモツ、津は伊勢でモツ」のような尾韻もあるにはありますが、この場合は英詩における韻とは違い、あまり大した意味もなしに繰り返す語呂合わせ的要素が強く、韻を踏むことによって詩の内容と調子の調和を計っているものではありません。

 

つまり、韻が日本人にとって、日本語の詩のなかで厳格に守るべき必然性、必然的理由をもつとは思えないわけです。日本人が詩的と感じない韻を日本語の訳詩のなかに持ち込むことは、その訳詩に違和感を与えることになり、賢明とはいえません。

 

参考までに五―七―五音による訳詩例を以下に示します。

 

The Daffodils
I wandered lonely as a cloud
That floats on high o’er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.
ダフォディル(黄水仙)
丘のうえ谷のうえなる天空に、
一ひら浮かぶ雲のごと
われさびしさにさまよえば
にわかに見たり一むれの、
いな、咲き乱れたる大群のこがね色したダフォディルを
湖水のほとり、木むら下
そよふく風にひるがえり、おどりたわむるダフォディルを
ワーズワース「ダフォディル」

 

しかし、次のような詩では、やはり韻を踏んで訳さないと原詩の滑稽なブラックユーモア的内容が伝わりません。

 

There was a young lady of Niger
Who smilingly passed on a tiger,
They came back from the ride
With the lady inside
And the smile on the face of the tiger.
お寺に嬢ちゃんおりまして
お虎にゆられて行きました
遠出でニコニコ夢のなか
帰りは嬢ちゃん腹のなか
虎さんお顔はニッコニコ
メリック俗謡

 

この場合Nigerとtiger、rideとinsideが韻を踏んでいるからおかしみがあるので、それを<ナイガーのお嬢さん>と<虎>と訳したのではおもしろさが半減してしまいます。どうしても一工夫して韻を踏んだ訳にしないといけません。

 

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